Highdyのことば

 [Highdyのことばシリーズ365日より]

 

 このコーナーには、主に Highdy の処世訓であったり、人生経験から残したい「ことば」が登場し、種々雑多な内容が不定期にアップされます。

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他人の悪口や愚痴は友人を失う

 

 先日、中学校・高校と仲良くしていた同級生と、声を掛け合って4人で会食をした。

昔を懐かしく話し合いながら、同級生や恩師の健在・動向情報を交換した。互いによく知っている仲間だが、高校を出てからの経緯は知らないので、各自の経歴を聞いてみるのも興味深いし、現在の様子を知るのも面白い。そもそも同級生が集まれば、昔話に花が咲くのが相場であり、時にはそんなひとときも実に楽しいものである。

 ご近所の方(と言っても50代から80代とさまざまだが・・・)と話をすると、出てくる話題は昔の話ばかり。つまり、話材がないらしく、趣味を持っていない方の典型的な話題である。仕方なく話を合わせておくが、全く進歩もなく、夢もなくつまらないことばかりである。

話題がない女性に多いのが、他人の噂や旦那さん、子供、孫の話が中心で、それも愚痴になることが多いようだ。中でも他人の悪口や愚痴は友人を失うことになる。女性だけに限定はできないが、それは人を不愉快にさせ楽しくない。知識が多く面白い人は、人気者になり人が集まってくる会って話をしてみないと、SNSやブログだけでは本当のところは判りづらいアが、こともある。愚痴はストレスの吐け場として、たまには辛抱もできるし、その人の環境を知る情報にもなるが、何度も同じ話を聞くと嫌になる。年を重ねると忘れやすくなり、同じ人に同じことを話す機会も多い。highdy 自身も含めて気をつけるべきことだと思う。

 放送大学の仲間との会話では、そのような愚痴は殆ど聞かれないので長く話していても楽しい。学習の話、旅行に行って良かったこと・驚いたこと・楽しかったことなど、同じ過去の話でも内容が違う。すなわち話材が豊富に揃っている。

 人は済んでしまった過去や自分がいま存在する事実は変えられない

しかし、これから先の未来や自分を変えることはできる

 

何かに打ち込んでいる人、何かを極めている人に話題は尽きない。

もっとあれもしたい、これもしたい、どうしたらもっと良くなるか、未来への夢があり、目標がある常にいまとは変わった新しさを求め続けている。

いまの自分を変えることは、未来の自分を幸せにすることでもある。

過去しか話せない人に夢はなく、年老いた証拠である

 highdy も、もっと金に余裕があればしたいことは山ほどあるが、できなければ、いまできることをする主義なので満足であり幸せである。何事も無理はいけない、無理をすると長続きしない。ボランティアも同じである。

どこかに書いているが、幸福というものは満足の中にあり、満足が無ければ不幸せである。でも、夢があれば、いま満足していなくても、不幸せとは感じないのものである。はたで見て大変そうに思えることも、好きでやっていることは本人にとって苦痛ではない。「知識と技術は宝」が highdy の持論だが、知識を増やせば話題も増える。その話題がまた新しい情報を得て知識となることも多い。

「夢=知識=幸せ」という、一見変な等式が成り立つかも知れない。

 

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他人(ひと)を変えようと思うな、先ず自分を変えることである。

 

 他人は自分の鏡と思うことである。

他人を変えようと意気込むと、口に出さずともその態度が自然に表に出る。すると、相手には上から目線で見られた感じを受け取り、口に出さない人もいるが心の中ではある種の反発を持つ。

まして、感情的になって口や態度に出してしまうと、売り言葉に買い言葉があるように敵対関係をつくりやすい。

同じ注意をしても言い方がある。「これじゃ~駄目じゃないか!」と言われるより、「これはこれでいいけれど、こうするともっと良かったね!」とか、「こうしてもらえると、嬉しかったなぁ~」と言えば、相手は反発しない。次の言葉に相手は耳を傾けてくれる。

だが、もっと優しく言うには、常に感謝や労いの言葉をその前にかけると、さらにその効果が高まる。気心が知れた仲であっても、お互いのコミュニケーションが密になるものである。すると、相手も確かにおっしゃる通り、よしっ、頑張ろう!といった気分になるものだ。

いきなりガミガミでは、その気も起こらない。人の行動はその人の心が自然に表に出るものだから、自分の心が変われば相手の態度も変わる鏡のようなものと認識しておくことが大切である。

他人を変えようと思ったら、先ず自分を変えることに気づかねばならい。

そうすれば他人は必ずついてくる。

 

他人を変えたかったら、自分が変わることである。

 

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無理をせず、ムラが無く、無駄を省け

 

 何事も、無理をしては長続きしない。

ボランティア活動でもそうだ。できない無理をしていると、いろんなところにムラが出てきて結局無駄なあがきになってしまうものである。

仕事だって無理をした仕事に出来映えいい結果は残らない。どこかにシワ寄せが生じて、結果やり直しになることが往々にして起こるもの。無理をしないとできそうにないと思ったら、初めの計画に時間を変えることが大切である。周到な合理的な計画は、計画に要した時間くらい直ぐに取り戻せるし良い結果をもたらすことが多い。

よく「仕事は段取り」と言われるが、工場で物を作る場合、あるいは何か料理を作る場合、実際に加工する時間や作業の本質部分は僅かなもので、大部分は段取り、それも移動時間が60~70%も要している。ワープロで文章を打つ場合も似たようなものである。大部分は考える時間である。

 効率よく仕事をするには、いかに無理やムラを無くして無駄なことをしないようにするか、段取りをしっかりするための緻密な計画を立てることである。結果はそれについてくる。

急いでやっつけ仕事をすると、必ず反省がついてくる。反省するということは、その中に進歩を見出すものである。反省をしなくすむ仕事ができる人間になろう。

 

反省が後悔になるようではいけない。

 

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自分の価値を知る、己を磨く

 

  昨年の無花果、今年も間もなくか・・・
  昨年の無花果、今年も間もなくか・・・

 人間は誰でもその人独特の価値を持っている。「価値がない奴」だと言われても、価値がないと言われるだけの価値を持っている。少なくとも「その人の存在」が認められている。

 自分の正当な価値は他人が判断・評価するもので、自分で知ることは極めて困難である。それでも正常な人間であれば、ある程度までは客観的に自分でも評価できるものである。

犯罪者の多くはそれに気づいていないから、欲が小さいから犯罪を起こす。つまり、自分の価値というものは、自分が生きるためのものではなく、どれだけ他人のために貢献できるかということである。簡単な言葉では他人のお役に立てるかを意味することを知らないからだ。自分だけの目先の私欲に気をとられ、広く社会のためを考えない小さな欲望から行動を起こす。最近政治家や実業家にもこの種の人間多く存在することは、とても嘆かわしい。

では、自分の価値を高めるためにはどうすればいいか?

誰でも気づくと思うが、社会のためになることをする。周りがその存在を認めて自分を使ってくれるようになることだろう。そのためには、自らの知識や技術を向上させ、以て他人のため即ち社会に貢献することである。 自然界の動物・植物だって生きるだけなら皆その努力をしている。彼らのその努力は凄まじいものがある。そうして生きながら、彼らは人間に様々な教訓を与え、人間が生きるための資源として貢献してくれている。でも、人間が彼らと違うのは、自己のためだけではなく、社会のために働き(貢献)しながら自分の生活をしていることである。

highdy も日々努めてはいるが、言うは易し実行はなかなか難しい。

 

 自分の価値を知り、自己を磨くことは人生の永遠のテーマでもあり、

人生の目的のひとつでもある。 

 

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 人生を楽しく生きるには…

 

 人生を楽しく生きるには? という質問に、誰もが答えることは、「幸福であること」、「幸せに生きること」といった平凡な答えが多く返ってくる。
では、幸せの定義は何か? highdy 流の哲学で簡潔に答えてみよう。それは、「いま、このままの状態がいつまでも続いて欲しいと思う瞬間の連続」を意味する。そして、その状態を得ることにより、達成感や満足感が得られるならば「幸せ」と思うことができる。幸せとは満足の中にある」とも言い換えることもできる。簡単そうに表現しているが、それには深い意味が隠されている。

 生物は本能的に生きることへの執着をもつ。中でもヒトはとりわけ喜怒哀楽を表現することができる複雑な精神的制御機能をもつ動物である。それには六つの「る」、すなわち「見る」、「知る」、「創る」、「食べる」、「得る」、「与える」が関与する。

 人間は未来に向かって常に新しさや変化を求めて生きている。そして何かに触れて感動し、達成感や満足感を得て喜びとする。それが楽しいことであり「幸せ」に繋がる。人間の本能的なものとして生への執着以外に破壊本能もある。ゲームなどはその表れのひとつで達成感や満足を得る遊びであり、すべての遊びの中には必ず6つの「る」のどれかが含まれる。だから遊びは楽しい。
殆どの方が「毎日に変化のない生活はつまらない人生」に思っているだろう。上に述べた6つの「る」に変化があり、きのうより感動し満足すれば楽しくなり生き甲斐を感ずるものである。
それらは自分が何もしないで勝手にやってくるものでは十分な満足はせず、自らの何らかの行動(参加)によって感動を獲得すれば幸せと思う。
また、「金持ち必ずしも幸福ならず」と言われるが、人の欲は深いもので常にもっと、もっと…と本能的にその先を求める未来を目指している。

 社会の中には仕事人、芸術家、スポーツマンなどあらゆる種類・階層・性別・年齢の人々が存在するが、彼らの目指す行動は、これら6つの「る」に執着しているから日々変化を求めているから生きていける。先が見えないから見ようと努力もするし、変化を求めようとする。

観光地で美しい景色を見たり、映画を見たり、美術館で鑑賞したり、「見る」ことでの感動は多い。
今まで見たこともない世界を知った時や新しい文学を読んだり、新しい知識を学んだりすることで「知る」という喜びがある。
創る喜びには、学問、美術・工芸、音楽、製品開発・設計・政策ばかりでなく、スポーツ、料理、手芸など数多くの「創る」=「クリエイティブな要素」が含まれている。
生きるために本能的に食べるのはすべての生物に共通するが、人はその食物を五感で食べる。その五感が満足すれば「食べる」幸せを感ずる。
欲しいものが何であれ、手に入れば「得る」喜びがある。それも苦労すればするほど喜びが大きくなる。
与える」ことに優越感をもって喜びを感ずる人も多い。裏を返せば自分を幸せに思うものである。究極の喜びは「無償の愛」とも言えよう。

 人生を楽しく生きるためには、仕事でも、趣味でも、勉強や料理でも、何でもよいから自分が打ち込めるもの、それにより毎日の生活に変化が出るものを持つことである。それらには必ず、6つの「る」のどれかの要素が含まれている筈である。例えば、スポーツの記録ひとつとっても、体力づくりやワザの創造に始まり、見る、知るなどの複数の要素を含むものである。
最後になるが、幸せのためには、「できることから始める」。何事も決して無理をしないこと、無理をすると続かない。
ボランティア活動と同じだ。それが人生を楽しく生きるコツと言っていいだろう。

 

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自分の無知を知り、補うことも人生である。

 

          春を感じて花を開こうとする
     春を感じて花を開こうとする

 自分の無知を知りそれを補う努力は、生きている限り必要で大切なことである。

 

 自然の変化を捉え花を開こうとする木々や野草がある中、社会の変化に気付かない、自分の無知を知らない大人が増えた。

スマホやパソコンが大人の玩具(おもちゃ)化した現代、かた時も手放すことができない大人も居る。

少しだけキーボードやマウスの使い方を覚え(実はそれすらも、少ししか解っていないが…)ブログやメールが書けて自分はパソコンができると思っている大人が多い。子供が平仮名が読み書きできて喜んでいるのと同じである。それでも意思の疎通はできないことはない。

しかし、まだ片仮名、漢字、ローマ字、外国語が沢山あることは知らない。例え分かっていても使えない。大人なら、ひと昔前のワードプロセッサーの代わりに使っているだけである。

 国家に力が無く多数の文盲が存在する国々が多い中で恵まれた社会にあるわが国でも、環境の変化についていけない落ちこぼれになる人は多い。

日本が戦争に負けたのは何故か、そんなことは中学生にも判る。鉄砲の時代に竹やりで勝てるわけがない。航空機の時代に戦艦で勝てるわけがない。日本の子どもの学力が近隣諸国に劣り始めたのは何故か。だがそうさせたのは誰か。これも同じで古い役人体質の国がそのように指導したからだ、いや先を読めない政治家がそうしたからだ。どちらも単純な疑問に単純な回答のひとつだ。

いまさら過去を言っても戻らないし進歩がないので、深くは言及しない。が、そのような環境にあっても、優秀な人材を育てた親も多い。

 highdy は無償でパソコンの知識を多くの方に伝えている。自分の無知を反省しつつ、いまの時代に対応した知識と技術を学んで頂きたいからだ。指先ほどの大きさ(microSDカード)でフロッピーディスクの枚数にして数万枚のデータ保存できる、もっとレベルを落としてCD-Rでもよい、これでも1枚にフロッピー500枚分近くのデータが保存可能で、保存期間も数10年と長い。SDカードも最近は1GB(フロッピー約700枚分)あたり100円の時代である。30年位前には、いまや死語になりつつあるフロッピー1枚が1,000円以上だった。無知な人は未だにわざわざ昔のフロッピー用ディスク装置を買い求めて利用している人もいる。

 パソコンを不調にしたり壊したりする人も相変わらず多い。原因は明らかで単に基礎知識を持たないだけである。裕福な人ならそれでもよい。資源の無駄使いだが消費向上により喜ぶ人もいるだろう。それを生業とするのでなければ専門知識は不要で基礎だけで十分だ。Word や Excel ができてもパソコンが使いこなせない人がいる。天才の子どもが生まれてもその才能を伸ばす教育をしなければ凡人になってしまうに等しい。

 

環境変化に対応するには、それなりの知識や技術を得ることが大切である。

 

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自分の役割とは…社会貢献である

 

 自分の役割とは、人や社会を喜ばせることであると認識しよう、

 それが社会貢献である。

 

 社会学ではストレス論を展開するときに「役割」という言葉がよく使われる。いきなりでは話が理解できないからここで少し、関連する主な用語について触れておこう。

役割」とは、ある特定の地位に対して他者から「期待される行動の集合」のことである。
他者がある人に抱く期待を「役割期待」といい、自分がいだく期待を「役割観念」という。

「役割観念」というものは、そもそも自分の欲求に基づいたもの(課題)であり、その充足は自分の欲求の満足になる。
両者の行動が等しいことが好ましいが、そこにすれ違いがあるのがいわゆる「世間」で、それぞれの思う役割がずれている場合が多い。これを「役割距離」があるという。世の中すべては、この「ズレ」が摩擦の元となり争いになる。
「役割期待」が本人(ある人)の能力やエネルギーをオーバーしているために、それに一致した行動ができない場合を「役割過重」という。ただこの場合は、本人の努力により能力、エネルギーを獲得すれば解決できる。
一方、役割期待同士がぶつかり合って対立している、つまり矛盾している状態を「役割葛藤」という。例えば、会社が残業して欲しいという。一方家族は娘の誕生日だから早く帰って欲しいという。この状態は本人の能力、エネルギーに関わりなく構造的に成立しない矛盾した状態である。

 役割過重が大き過ぎたり、役割葛藤に悩んでストレスを感じ、精神疾患に陥る人々も多い。いま、日本における病で問題になっているのは、悪性新生物、脳血管疾患を含む循環器関連の病に次いで精神疾患であり、世界でも最も多い精神科ベッド数を誇る(?)中で60%は統合失調症である。実際に受診していない患者数はその3倍以上と言われているほどだ。

   今年は寒いせいか、例年になく開花が遅い
   今年は寒いせいか、例年になく開花が遅い

 家庭内では一般にジェンダーとして「父として、母として「役割」の性的分業をしていることが多い。また、「親として、子としての「役割」もそれぞれ持っている。人は成人になれば、いろいろな「役割」を果たさねばならないのは世の常である。

 ここでいうジェンダー」とは、社会的につくられた「性」であって、生物学でいう雌雄や男女の仲の「性」のことではない。分かりやすく言うなら正確ではないが、「男というものは、女というものは」と解釈してもいいだろう。ジェンダーの観念は、国により地方により環境によって異なり万国共通のものはない。
話が難しくならない前に、元に戻すが、家庭内だけでなくもっと大きな観点では、あなたの社会に対する「役割」がある。社会にも大小があり、会社という集合体、日本という国全体、あるいは世界に対する「役割」があなたには存在する。

   ボケの蕾もかなり固い
   ボケの蕾もかなり固い

 人生の目的については下にすでに述べたし、「自己の最高顕現 (実現)」とも書いた。それを達成するには、自分の役割を果たすことである。だが、社会全体での役割となると、殆どの人がすべて満足に果たすということは至難のことである。

それでも、一歩でも近づこうとする努力をすることが大切なことであり、人生の限られた短い時間を大切に暮らすことであろう。もちろん、いつも気負ってばかりでは脳も体も疲れるから、適度の休息、楽しみ、遊びもあった方がよい。車のハンドルも適度な「遊び」なければ、危険で運転できないことはご存知の通りである。

だから、役割を果たすための努力は、しようと無理をしてもいけない。いつも繰り返すがボランティアと同じで無理をせずできることからするのが一番よい。そうは言っても急がねばならない優先順位があることも忘れてはならい。


 さて、今日一日もっとも身近なところで、家族にどんな役割をして喜ばせようか、今日は会社で何をして喜ばれようか考えてみよう。 

 

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ヤル気の引き出し方

 

  人は誉めて育てるものである

  ヒトの脳は一度ある快感を味わうと、さらに同じ

  快感を求めようとする!

 

 自分の知識や技術というものを他人に教えることは、易しいようで実は難しいことはお解かり頂けると思う。
しかし、少しだけコツを知ると、容易に可能なこととなる。大人も子供それは同じである。初めの一歩が肝心で、学ぶことが楽しい、すなわち授業というものは楽しくなくては興味も湧かないし、知識や技術も身につかない。大昔のスパルタ教育なんて言うものは、いまや死語と言ってもいい位である。

私の数くの経験からそのコツの一部として7ケ条を紹介してみよう。

① 先ずそれを知ってどんなメリットがあるかを知る(教える)こと。
  一般的な多くの人は、それを知って何がいいのか損得を考える。

  そして嫌なこと(辛いこと、痛いことなど不快なもの)は極力避け

  ようとするものである。これは犬や猫の躾(しつけ)と同じ学習

  効果に似ている。

② 初めは誰でも習得しやすい簡単なことから始める。
  いきなり他人と差がつき過ぎると、自信を失いヤル気をなくするも

  のである。初めから難しいと自分には適性がないと諦めてしまう人

  も多い。少し努力すればできるレベルがほど良いものである。

③ 簡単なことの中に、一般的な最低限の基礎を教える。
  何事も基礎が最も大切で、土台がしっかりしていないとそれから

  先はすぐに限界が見えてくる。努力が報いられない状態が起こる。

④ レベルをほんの少しだけ上げ、できた時の喜びを感じさせる
  人は誰でも過去にできないことができるようになると、嬉しくなり、

  もっと学びたい、もっと練習したい気持ちになる。
  つまり、興味が湧いてくるものである。

⑥ 基本的な知識や技術を覚えたところで、同じ結果を得るのにもっと

  簡便な技を教える。

  簡便な方法は緊急的な場合を除き、絶対初めに教えていけない。

  人はラクをしようとする動物であり、基礎を身につけていないと、

  応用ができなくなる恐れがある。
⑦ 本人がヤル気を起こせば、指導者は助言だけで強制的な指導は不要

  である。

  ただ、できたことを次々に褒めればよい。 すると、さらにヤル気が

  出てくるからだ。 そして、より伸びるためのヒントを与えよう。

  自分で考えさせることも、大切な教育法のひとつである。

  脳科学的に人間の脳はそのようにできており、良いことでも悪いこ

  とでも一度快感を味わうと、さらに同じ快感を味わおうとする

  になっている。
  
犯罪の繰り返しもそれが原因である。だから矯正法を誤ると、また
  類似の犯罪を犯す。記録を伸ばすアスリート達も同様である。

 

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目標の達成には… 

 

いま、できることから始めよう! 

 

 人生を生きて行く過程において、何らかの目標を達成しなければならないことは多い。目標の達成には慎重に計画を練り、石橋を叩いて渡ることも必要なことである。しかし、計画ばかり細かく検討しても、決して前進することはない。先ず行動に移す、一歩踏み出すことである。それもただ我武者羅にではなく、小さな目指す目標を定めてから進むことだ。

私はよく、「ボランティアは、いま自分にできるだけのことを、できる時間だけしよう!」と言っている。つまり、決して無理をしては長続きしないからである。仕事も趣味も無理は絶対に禁物である。

 目標達成のための小さな目標を持つことである。塵も積もれば…の諺のように、小さな目標の達成が大きな目標達成につながる。ヒトの脳はある快感を得ると、さらにその快感を味わおうとして働くことは、広く学問的に知られている。小さな目標を達成すると、大きな喜びを感ずるものだ。すると、その行動が加速度的に強化され、目標に近づく速度が速くなる。もちろん、それに伴い喜びも増大する。

 世の中には悪い環境により誤った感性を持ち、類似の犯罪を繰り返す人間もいる。それらは初めの動機づけが問題で、それをたしなめる人間が傍にいなかったことも不幸を招いたの原因のひとつだろう。が、方向さえ間違えなければ、誰でもヒトの脳は非常に優れた能力を持っているものである。
 社会に貢献し多くの人々の喜びを与えることを目標に人生を過ごせば、その充実感が自分に還ってきてわが身の幸せを感ずるものである。そのためには、今日すぐにできることを明日に延ばさない心がけも大切だ。何事もいまできることから始めてみよう。

 

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人生の目的とは…

 

 運命を切り開き幸福を求めて自己の最高顕現(実現)をすることである。

 

 運命とは天命としてあなたが男として、あるいは女としてその家に生まれたことであり、自分の責任で変えていくことである。

 幸福は自らの努力で得るものであり、お金儲けと同じで、何もしないで天から降ってくるものではない。生まれながらにして身体的な障害を持った人も多い。が、育てられた環境や自分の努力で幸福になり、幸せな一生を送る人も多い。

 地道な努力こそ人生を素晴らしいものにする近道である。職業の種類、努める会社の規模などは関係ない。自分の生き甲斐を見つけることが、自己の最高実現につながる。

人びとの幸福を願う欲望には限りがないものだが、自分の努力の結果が他人に認知されることで、幸福を感じるものである。他人のためになることで、他人から感謝されることで人は幸せに思うものだ。

自分のやっていることが何らかの形で社会に貢献し、他人から喜ばれることである。つまり、どれだけ他人を喜ばしたかがその人の充実感になり、自分の生き甲斐を知ることになる。自分の欲求が強ければ強いほど、幸福は遠のいていく。すなわち、幸せの多角形(満足度)は欲望の円に内接する。

何事にも感謝の気持ちを持って、無欲で他人に尽くすことが大切である。「愛」とは求めず与えることをいう。

 

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営業と商品

 

  営業とは、品物を売ることではない、

    顧客に知識と喜びを売ることである。

 

 営業とは、すなわち、それを使うことによって、顧客にどのようなメリットがあるかという付加価値を売ることである。しかし、知識と喜びの元になる商品を売るには、先ずはその対象者に対して自分や会社を売ることからから始まる。顧客のメリットには、知識を得る喜び、満足を得る喜びなどがあり、それを使うことによって得られるすべての喜びが含まれる。例えば、簡単にできる、早くできる、安くできる、良いものができるなど、いままでできなかったことができる喜びである。そして、そのような喜びを創造する有形・無形の技術こそが付加価値であり、商品と呼ばれるものである。 

 商品には、原材料もあれば加工製品などのハード、講演会の話やパソコンのプログラムなどソフト的なことまで含まれる。が、いずれの場合も、顧客を満足させ幸せにする喜びを与えるものでなくてはならない。商品は顧客に幸せを約束するものでなければならない。

 

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